根府川ライフ


カテゴリ:旅( 170 )



蔵王樹氷と最上川下りツアー (2日目)

ツアー2日目(3/16)も強行軍で帰宅したのは22:30でした。

銀山温泉
銀山温泉は、レトロな雰囲気の3階建ての温泉宿が並ぶ写真を見て、永らく行きたいと思っていました。
少し最上川から離れてはいるが、紅花、米、銀などの最上川交易で潤った温泉街と思われる。また、「おしん」の母が働いた温泉でもある。川の両岸に20軒ほどの明治・大正の木造3階建の旅館(女郎宿)が立ち並ぶのは一見の価値があります。

昔は、2階、3階の窓から飢饉で売られた百姓の娘が母・故郷を思いながら客を呼ぶ姿を思い起こさせる。また、窓の下の漆喰壁・板壁に絵が描かれている宿も3軒あり面白い。

(左)旅館窓下壁の絵(毎月の行事が描かれている)  (右)正月風景


近くの山元村の「山びこ学校(無着成恭)」が今年度限りで廃校となると新聞記事にあった。小学校の頃に作文を読まされて、こんな貧しい悲惨な村があるかと子供心にも思いました。夜の雪道を母を訪ねてきた「おしん」の貧しさがない日本は本当に有難い。

25年前、バンコクにいた頃にテレビで「おしん」の放映があり、飲み屋でも時間になると店の女性が客を忘れて泣きながらテレビに見入っていたのを思い出します。

最上川下り
芭蕉の「五月雨を集めてはやし最上川」のイメージから急流かと思っていたが穏やかな流れで、周りの山は雪が残っているが川下り船はガラスで覆われて暖かく快適でした。

(左)最上川と遊覧船  (中)義経・芭蕉の来た仙人堂  (右)仙人堂内の船絵馬


途中、仙人堂なる社で下船した。ここは、義経一行が逃避行の中で立ち寄り常陸坊が建立した堂で、芭蕉もここで最上川の句を作ったと言われている。
堂内の壁には絵馬が飾ってあり、「船絵馬」は酒田港へ農産物の川舟運送する船主が納めたかと想像した。

米沢城跡と上杉神社
米沢は家康の命で、上杉影勝が会津120万石から米沢30万石に減封され、直江兼続が街造りした。「天地人」の直江兼続ブームで何処に行っても愛・愛です。有名な「愛の兜」は上杉神社宝物館にあるが、16:00で閉館で残念でした。

米沢はなんと言っても「9代藩主上杉鷹山」です。17歳で養子で藩主となり倹約、産業振興の大改革を行った名君です。刀を鍬に変えさせて実践した「なせば成るなさねば成らぬ何事も成らぬは人の成さぬなりけり」の名言は今の時代でも新鮮。

(左)米沢・上杉神社 (中)上杉鷹山像と「なせば成る」碑 (右)愛の直江明生像


鷹山の君主心得「国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候」は民主主義の先取りで改めて感心しました。

夏までに、越後、会津に行き直江兼続ゆかりの地を制覇したいと考えています。
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by akiotakahashi | 2009-03-17 22:16 | | Comments(5)


蔵王樹氷と最上川船下りツアー (1日目)

3/15-16 「蔵王樹氷と最上川船下りツアー」の1泊格安ツアーに行きました。

旅行社のツアーは、「安い、時間の無駄がない、疲れない、安易な家庭サービスが出来る」の4拍子揃っているので時々参加します。今回は、昔仙台に住んでいた時に行きそこなった山形の旅館街・銀山温泉へのリベンジ。

① 松島・瑞巌寺
3年間仙台にいたので松島方面には塩釜の魚市場、奥松島の牡蠣を目的によく行きました。松島では2時間自由行動で、瑞巌寺門前を歩いた。松島と同じ堆積岩で削りやすいので、仏像を彫った、また修行用の石窟が多くあるのを面白く見ました。
芭蕉が「奥の細道」で楽しみにし旅の目的でもあった松島は説明だけで俳句がなく、以降に名句が多い真の理由は何か興味深い(プロが感動しすぎて句が出ない筈はないと思うが・・)。

(左)松島風景  (中)瑞巌寺・石窟と石仏群  (右)茶店に座る芭蕉翁


時間があったので、塩釜にタクシーで行った。70過ぎの運転手が話好きの人格者で「いくら金があっても、健康で好きな所に行けなければ仕方がない。」と教えてもらった。「金が無く病気では死ぬしかないですね。」とバカな相槌をうち家内から非難。

② 蔵王・樹氷
既に3月なのでモンスター樹氷は崩壊し小樹氷と霧氷が見られるだけでしたが、それなりに見ごたえはあり綺麗でした。
暖冬とはいえ地蔵山頂(1,661m)は強風氷点下10℃で凍えたが、「八甲田山死の彷徨」の寒さの凄さは想像できません。

(左)地蔵山頂の雪に埋もれた大きなお地蔵様  (中)この程度の樹氷なら蔵王でなくても珍しくないか  (右)霧氷が綺麗(中間の樹氷高原駅で)


蔵王は18才で初めてスキーをし、2日目に地蔵山山頂からの樹氷原コースに挑戦した場所です。氷点下18℃に驚いたあと、最初の狭く急なザンゲ坂でアッと言う間に転倒して、スキーヤーにぶつかり相手の竹ストックを折ってしまった。新品アルミのストックと仕方なく交換して、竹ストック1本で苦労しながら這い降りたのが懐かしい。
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by akiotakahashi | 2009-03-16 23:26 | | Comments(2)


日本の理論物理学の父・仁科芳雄博士

11/30 岡山西部の里庄町にある日本理論物理学の父・仁科芳雄の生家に行きました。
岡山の郷土に輝く人といえば桃太郎、吉備真備、法然、雪舟、武蔵、洪庵、犬養毅、夢二、泣菫、大山康晴が有名ですが、技術者は仁科芳雄をあげる。(山・ミカン仲間のKYさんは別格)
ノーベル賞物理部門受賞者の湯川、朝永、小柴、小林、益川は仁科の弟子、孫弟子に当たる。今の原子物理は巨大な設備をつかい金さえあれば成果はでるが、本来の理論物理は研究費も少なく頭だけで理論構築した脳の構造に感心します。
生家は代官、大庄屋を務めた立派な屋敷で、生まれながらの英才。戦中は軍の要請で原子爆弾の開発を進めサイクトロン完成させて研究中だった。
1951年に60歳で逝去し、一生の濃さが60を過ぎた自分と格段に違います。ただし、「働きて働きて病む秋の暮(病床の句)」の気持ちだけは完全に一致。
仁科芳雄の生家全景
さて、小生は寺・神社などに行ったときには床下を探索する。生家では江戸後期(建築時期から年代推定)の丸瓦の破片を発掘し、お宝の仲間入りをしました。

仁科博士相関図           少年時代の仁科を見守った丸瓦

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by akiotakahashi | 2008-12-02 23:39 | | Comments(2)


サウナ風呂と温泉卵

12/1 客先との打合せは午後なので、時間つぶしに大型ショッピングモール併設の銭湯「玉椿の湯」で汗を流した。
驚くほど広く露天風呂も数種類で、風呂にはテレビもあり充実しているのに驚いた(¥500)。サウナ(85℃)で前々日買ってしまった生卵の処理を考え、この条件なら温泉卵が出来ると閃いた。直ぐに忘れ物をしたとステテコ姿で駐車場に卵を取りに行った。
サウナの片隅にこっそり置き1時間後に取り出し、完全な温泉卵になったのを確認した。
技術屋としての探究心と理論通りの成果に自己満足したが、サウナの出入りが多く体はカラカラで疲れ果て、午後は大変でした。

スーパー銭湯「玉椿の湯」     露天風呂(ケイタイ撮影)

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by akiotakahashi | 2008-12-02 07:00 | | Comments(2)


水島の大型ショッピングモール

11/26-12/5  長い出張で倉敷にあるコンビナート地区・水島に滞在している。
水島には計20年間を工場勤務で過ごした。入社当時は高度経済成長期で水島も昼夜とも賑やかでした。その後、景気後退による工場縮小、合理化人員削減によりサティー、ダイエーなど大型店が開店・閉鎖を繰り返していた。
宿泊ホテルの前にあった旧日鉱社宅跡に、イオン中心の大型ショッピングモールが開店しているのに驚いた。スーパー、レストラン、本屋、薬屋、100円ショップ、銭湯などが揃い、アメリカのショッピングモールのイメージ。

早朝の全景・中央上の茶色の建物は昔いた社宅、その前は病院(ホテルより)
平日の夜7時頃ではあったが、ガラガラで何時まで経営が維持できるか他人事ながら心配になった。そもそも、水島駅前のダイエーでも5年で閉店した環境であり、市場調査を真面目にやったか疑われる。地方では、食品スーパー、コメリなどの雑貨、回転寿司、100円ショップしか長持ちしないと思っている。なお、倉敷駅前のチボリ公園もたった10年で12月末に閉鎖される。

ガラガラのショッピングモール     ガラガラの居酒

さて、ホテル責任者は水島の割烹の娘(正確には嫁)で、当時の割烹の女将はしわが目立った(老けて見えた)が接客の上手な立派な人でした。娘さんにも若い頃にお目にかかったこともあったので「女将さんにはお世話になりました。何時亡くなりましたか。」と聞いたところ、「足が悪くなりましたが、未だ70代で元気です。」と答えられた。殺してしまい、お詫びのしるしに宿泊は「ホテルナンカイ」、宴会は「どんこ」を今後紹介すること決めた。
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by akiotakahashi | 2008-12-02 03:23 | | Comments(1)


大分の連絡船(ホーバークラフト)

11/18 初めて大分コンビナートに行きました。
大分飛行場に着き別府湾を横断する連絡船乗り場に行ったが、桟橋もなく、広場に修理待ちの船があるだけ。実は300mの滑走路を走って海に入る近代乗物の水陸両用ホーバークラフトで驚き。
但し、強風の向かい風を90km/hの猛スピードで進むのは如何にもエネルギー効率の悪い乗り物で(追い風は良いが・・)、騒音と揺れが激しく気持ち悪くなりました。
空港での昼飯は大分なのに琉球丼があり熱帯魚の丼かと思ったが、関鯵の漬丼で味は満足。帰りは北海道でもないのにシシャモ蕎麦があるので注文した。出てきたのは地鶏のシャモで、肉は美味しかったが蕎麦はイマイチ。

琉球丼(鯵の漬け丼 ¥1,200)  シャモ蕎麦(味付シャモ肉 ¥850)

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by akiotakahashi | 2008-11-18 23:03 | | Comments(2)


晩秋の蓼科

11/14-15 紅葉を一人でばかり楽しむのも問題なので、家内と一緒に蓼科、白州に行きました。
流石に蓼科でナナカマドの街路樹があるのに感心しました。山は紅葉のピークは終っていたが、カラマツ林の黄色と横谷峡の連続する滝がなかなかのものでした。

八ヶ岳を背景にしたナナカマド街路樹   蓼科・横谷峡乙女滝

横谷峡入口「腸詰屋」では春まで休業の売尽しセール(25-40%引き)があり豚舌の燻製を買い占めた。次回の仲間との忘年登山に持参しようかと思案中。
紅葉はサントリー白州醸造所で十分に堪能でき、山女の燻製とカレーで満足。

 「腸詰屋」売尽しセール       サントリー白州・山女燻製ほか
 
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by akiotakahashi | 2008-11-15 22:15 | | Comments(5)


飛行機からの富士山

11/11 珍しく出張があり岡山まで飛行機に乗りました。
気流が悪く高度を4,500m程度に下げて雲の下を飛んでくれたお蔭で、地上の風景が良く見えました。
富士山が素晴らしくBlog用写真を撮ろうと思ったが、デジカメを忘れケイタイでしか写せずプロの技術を駆使出来なかったのが誠に残念。
沼津アルプスは判ったものの、南アルプス(甲斐駒)、中央アルプス(木曽駒)と思われる山々も良く見えましたが、ホントの山の名前が解らないのも残念。

伊豆半島を背景に富士山
10月からBlogを始めた初心者で何時でも写真の撮れる心構えが出来ていないのに反省しています。
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by akiotakahashi | 2008-11-13 23:14 | | Comments(2)


良寛禅師ゆかりの地(新潟・出雲崎ほか)

10/12-13 良寛の足跡を訪ね新潟にドライブをした。
良寛禅師の本を読み、良寛が何故尊ばれ好かれ愛されるかを知り、ゆかりの地(①出雲崎の生誕地跡と剃髪修行した光照寺 ②20年間修行し暮らした寺泊の国上寺と五合庵 ③長岡(島崎)木村家の終焉草庵跡)を訪ねた。
高さ300m程の山中にある国上寺からさらに奥に入った一間の庵で質素な生活をし、冬の厳しさが偲ばれる。(手鞠で遊ぶのには厳しい)

(左:13年暮らした一間の五合庵)
(右:69~74歳過ごした島崎・木村家にある終焉の草庵跡)


良寛は、欲の無い貧しくとも心豊かに暮らした高潔、純真、清貧の禅僧・文人・詩人です。小生は、所有が多ければ多いほど心の自由を失い、「足るを知る」ことが心豊かになることだと悟りました。
偶々、出雲崎で中越沖地震の復興支援イベントがあり、”サザエ袋詰め放題”に参加した。欲が出て必死に詰め込んでいる己の姿に「足るを知る」難しさがありました。

未だ足らぬ稼ぎ稼いで墓の中(早期退職した学友がくれた詩)

     (サザエ袋詰め放題)
詳しい写真は「picasaweb.google」をご参照下さい。
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by akiotakahashi | 2008-10-13 12:00 | | Comments(1)


旅順203高地、大連満鉄旧施設

9/14-17 日露戦争激戦地の旅順203高地と乃木将軍と露軍ステッセル将軍の会見場所(水師営)、に中学の旧友と行きました。日本軍攻略後203高地から見下ろした旅順港を霞で一望できなかったのが残念。明治武士道の残る戦争を想像しながら徘徊しました。

上:203高地の砲弾で作った「爾霊山」記念碑(乃木将軍書)
下:「庭にひともとなつめの木 弾丸あともいちじるく くずれ残れる民屋に いまぞ相見二将軍」(尋常小学唱歌) この机で二将軍が会見した!

また、大連では満州鉄道蒸気機関車の大きいのに驚きました。中国東北地区の開放改革・経済発展もすさまじいものです。
詳しい写真は「picasaweb.google」をご参照下さい。
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by akiotakahashi | 2008-09-16 20:25 | | Comments(3)

    

小田原・根府川にミカン畑を借り仲間と楽しんでいる。ミカン作業、登山、趣味など紹介
by akitaka
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