7/15 「ジャガイモが無くなったが、根府川に残ってないか」と問われ、畑に行きました。
今年のジャガイモは、植える時期が遅かったので、豆粒みたいなのが多く、面倒なので残していた。
炎天下を、スコップで掘り返して、収穫するのは重労働で、汗が滴り落ち、虫に刺されて大変だった。
小さいジャガイモ粒を見て、李紳の漢詩『憫農(農を憫れむ)』を思い出した。
(畑の成果、 炎天下でのビールと大根おろしは美味)
夏の田んぼで、お百姓さんが働いているのを見たことはなく、機械化と農薬と補助金で、兼業のダブルインカム、定年無しの気楽な稼業になったものだ。
ご飯の一粒一粒が農民の苦労の結晶であったのは40年前までで、「粒々辛苦」は死語になった。
このジャガイモの一粒一粒が、苦労の結晶なのを、家内は知らない。
『憫農(農を憫れむ)』李紳
鋤禾日当午(*禾(か)をすいて日午に当たる)*禾:稲
汗滴禾下土(汗は滴たる禾下の土)
誰知盤中餐(誰か知る**盤中のそん)**お椀の中のご飯
粒粒皆辛苦(粒粒皆辛苦なるを)